愛ある結婚は冒険である

 

読みたい本がたくさんあって困っているのに、何度も読み返しては考えてしまう本もある。

"ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。"
という本もそのひとつ。

神話というモチーフを使って、世界はひとつに束ねられており、奥底の部分でつながっていることを証明し、だから神話の伝播は徐々にではなく、同時多発的に起こっているのだと話されたキャンベル先生。
つながっているのは目に見える、耳に聞こえる"今話したこと"ではなく、私たちの奥底から湧き上がってくること、つまり"考えていること"がつながっているという話。

2000年くらいからネットが普及して、情報を得ることも発信することも容易に、そして格段に速くなっているけれど、それはつまり、ずっと昔から内面に起こっていたことが露わになったということなのかもしれない。

話は東洋と西洋の集合的意識の話、そしてダライ・ラマの話にもなり、神とはなにか、

でも、題名にもなっている結婚についての話はなかなか出てこない。一番最後に出てくる。

ジョーゼフ・キャンベル(以下C)
結婚とは(中略) 自分を相手に与えるのではなく、二人の関係に与えるのです。
そして自分が相手と同等に関わり合っているのだと気づけば、関係性に自分を与えることは、自分を失う不毛なことではなく、人生を慈しみ豊かにする経験となり、人生を築くことになるのです。
これが結婚の挑戦です。素晴らしいのは人生を共にすることで、標準的な元型にはまってしまうのではなく、成長し続ける人格としてお互いが相手が花開くのを助け合うのです。
人が、クッキー型で作ったようなものになるのはやめて、なにか目を見張るようなびっくりするようなものになってやろうと決心できた瞬間というのは素晴らしいですよ。
トムズ(以下---)
そういったことに気づかないから離婚率が高いのでしょうか?
C 理由の一部ではあるでしょうね。そして冒険を続けられるようにすることです。なぜならあなたが選んだ人が誰であれ、その人を理解できないと必ず思います。その人についてわからないことがいっぱいあって、でもそれは、その人自身にもわからなかったことなのです。そして相手も同様にあなたをわからないと思っていることを忘れないでください。
---そして二人ともずっと変わり続けている。
C ずっと。
---私たちはよく結婚相手を一つの立場に釘づけにしておきたいと思うものですね。
C ひとりでにね。人は結婚とはこうあるべき、こうあって欲しいという固定観念を持っています。それを捨てなければ、愛ある結婚の冒険は手に入りませんよ。二者択一です。そして愛が連れて行く処にあなたの場所があるのです。

冒険って不思議なものだと思います。わくわくするのは、今まで見たことがない、しらなかったところへ出かけていくから?
でも、結局探しているのは、新しい自分の場所なのかもしれません。
さて、私も愛する旦那さまと、そして愛する息子たちを連れて、今日も冒険の旅にでかけることにします。

 

 

ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。―ジョーゼフ・キャンベル対話集

ジョーゼフ・キャンベルが言うには、愛ある結婚は冒険である。―ジョーゼフ・キャンベル対話集