さあ、元気に生きていくぞ

なんと、また赤ちゃんができました。

私はひとりっ子なので、小さいときにお兄ちゃんが欲しい、お姉ちゃんが欲しいと騒ぎ
それは冷静に無理だよと言われた後も、じゃあ妹でも弟でもいいから欲しい。
ほしいほしいほしい。
訴えたかいがありました。
私には兄弟も姉妹もいないけれど、愛しの彼らはなんと3人兄弟。
(あ、まだ女の子かもしれないけれど、女の子を産める自信がないから、とりあえずはこのようにしておきます)
考えようによっては、主人の前の奥さんの子どもたち2人も合わせたら5人の兄姉弟。
なんだか気が遠くなりそうですが、夢じゃないみたいです。
もうトシだし、もしかしたら、ちゃんと育たない可能性もあるし
ここで語る時期でもないのですが
私は赤ちゃんの存在をじんじんと毎日感じていて、今あなたがここにいることは確かだから、なにか言いたくなってしまったので、こうして書いているわけなのでした。
 
子どもができて、育てるということは、これからだって、今まで以上にたいへんなことだとは思います。
もう既に育てた人からしたら、わかってないなーと思われてしまう程度にしかわかってないかもしれないけれど、
たいへんなんだ、ということは認識しています。
ああ、でも。
私は今まで、子どもができるまでに、ここまでわくわくして、一ミリの疑いもなく夢中になったことがあったかなと思うと、それは多分恋くらいで。
でもだいたいの場合、恋は途中から、自分のことばかり考えるようになりますし、
(相手は私をどう思ってるかな、こないだの件ははどうかな、相手は本気かな、、、つまりは全部ワタシが幸せになるため!)
それでもちろん、自分の思い通りにはならなくて切なくて、アッパーカット辛い酸っぱいいろんなことを味わうものの。
どこかに逃げられる、という点では楽ができるし、だからこそ永遠に孤独でした。
子どもたちとの生活は、予想外にハードボイルド。
子どもたちは愛という名のモトで、にこにことんでもないことをしでかす。
(今日の長男はゾウがどうやっておしっこをするか、ということを研究しており、それを家庭で実践)
糞尿まみれの床を拭きまくったり、なぜか気まぐれに殴られたり
無理難題を当然のように大声で訴えてくることに、ブチ切れたり
毎日珍事件の連続。
ここから一歩も動けない、という不自由さ。
逃げられない、ということ。
そうか、だから、私は幸せです。
嬉しいです。
やっぱりすごく嬉しいです。
赤ちゃん、私のところに来てくれてありがとう。
時々キーキー怒っちゃうことも、あるかもしれない(気をつける)
どんくさいとこもある(これはたぶんなおらない)
私のところに来てくれてありがとう。
この大きな出会いに感謝。
あなたに会うために、母ちゃんは今まで生きてきたんだよ。
そしてこれからは、あなたたちみんなが育つのが楽しみで楽しみで、ぜんぜん死にたくありません。
若いときは寂しくて、ときどき無性に生きてることが辛くて、死にたくなったこともあったけれど
もうすぐ39かあ。
もう立派なおばちゃんだ。
さんきゅーさんきゅー39年。
今まで生きててよかったよ。
あなたにまた会えるんだものね。
さあ、母ちゃんは今日も元気に生きていこうと思います。