遠い声を聴く

創造する、とは遠い声を聴く、ということだ。

少なくとも自分でなにかを創り出している、という感覚ではないと思う。

一生懸命耳をすましている感覚に近いような気がする。

でも、瞑想すれば聞こえるかというと、そんなことはない。

お皿を洗ったり、子どもの制服にワッペンをチクチクつけたり、ものすごい集中力で料理を作ったり、

時間に追われて企画書を作ったり、生活を丁寧にしっかりやる、という先に、ちょっと広場のようなところで一休み。

一杯のコーヒー。

香りたつ匂い。

ちょっと深呼吸。

そんなときに聴こえる声。

それに従うということだ。

一度聴こえたら、もう大丈夫。

時々聴こえなくなることがあるかもしれないけれど、また耳をすませばいいから大丈夫。

そしてこの世の中には創造的でない仕事なんて、ひとつもないから

仕事とは、遠い声を聴く、ということなんだと思う。

言われたこと、見たこと、そのままじゃなく、もちろんそれも受けとめた上で、遠い声が聴こえるかしら、私にも。